ホームページ開設と共にブログも開設しました。
ブログでは、日中平和友好のために少しでも関心をもっていただけるような
記事を掲載していけたら幸いです。
4月23日は李徳全さんの命日です。
私たち草の根チームは2014年の首脳会談実現のために微力ながらも
貢献させていただけたことをきっかけに、幾度も訪中し交流を重ね、
国内では隣国中国を愛し、理解する仲間たちを探しては
大小さまざまな会議を重ねてきました。
これまで様々な日中草の根の社団法人や団体を立ち上げながら
いよいよ昨年李徳全研究会を立ち上げるに至り
会の記念日に「この日」を選ばせていただきました。
更には日本の研究会の総裁の誕生日も命日と同じ日だったということもあり
李徳全さんのお孫さん羅悠真さんと長年日中の平和を願ってきたことを
土台にして進んでいきたいと思わされています。
昨年の日中国交正常化45周年に続き、日中平和条約締結40周年の今年に
なぜ日中新時代の友好関係強化を目指して、あえて「李徳全」研究会と名付けたのか
その意味を改めて振り返っていました。
戦後、中華人民共和国ができ、日本政府と新中国政府の国交がまだ回復していないとき
1954年10月30日に李徳全さん率いる訪日団が1,000名のB、C級戦犯を含む
32,000人の日本人引揚者の無償の返還の働きをある「かたち」をとって
実現に至る道を進んでくださいました。
周恩来さんが大切にされた「民以官促」、すなわち民を以て、官を促す。
当時の日中の友好関係の回復と実現のために両国の草の根の力をあわせて
難しい局面を乗り越え、国の未来を動かしていったのです。
李徳全さんは中国人でありながら、現代における世界各国のリーダーや個人にも鏡とできる
生き方を沢山示してくださいました。
そのことは、昨年、日本語と中国語で同日に同時に出版された唯一の政府公認の出版物
「李徳全」を読んでいただくと理解していただく一助となることを願っています。
私が李徳全さんを尊敬するに至った一つのことを紹介して終わりにします。
李徳全さんは中華人民共和国の紅十字代表(赤十字)、また初代衛生大臣(厚生大臣)でありながら、公用車に一度も乗ることなく、国民と同じ目線に立とうと仕事場まで歩いていったのです。
電車に乗る時もグリーン車のような一等席に乗ることはなく
みなと同じ三等席に乗ることを大切にされていました。
人々から敬われる立場になったり、経済的にゆとりができると忘れがちな
それまで大事にしてきたさまざまなこと。
自国の参議院議員副議長という国の指導者になっても、同じ草の根の立場に立ち続けて
歩まれたことは、政治家も民間も関係なくあらゆる業種、組織や団体のリーダーをはじめ
個人にも鏡にできる姿なのではないかと感動して本を最後まで読み終えたのです。
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